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エッセー集 イタリア散歩道

トスカーナ方言と中・南イタリア方言

菅田 茂昭
早稲田大学名誉教授(言語学・ロマンス語学)Le Ali 8号

イタリアは、ロマンス語圏の中で方言分化が最も著しい国です。言語地図を開くと、同じ物を指す名称の異なる度合いが格別に高いことに気付きます。夏になると街角で売られる「西瓜」が、ヴェネツィアなど北イタリアではanguria(ビザンティン由来)、トスカーナから中部はcocomero(印欧語以前、地中海起源とされる)、南へ下るとmelone d'acqua(庶民的な呼び名 cfr.英語watermelon)などと変わります。

イタリア方言が、ラ・スペッツィアとリミニを結ぶ等語線で南北に2分されることおよび北イタリア方言についてはすでに述べましたので、今回はこの境界線から南側を眺めてみましょう。そこには標準イタリア語の基盤となったトスカーナ方言と中・南イタリア方言とがあります。ローマからアンコーナにかけて、すなわちラツィオ州からウンブリア州を経てアブルツォ州に至る地帯は、歴史的にも中部イタリアと呼びうる地域ですが、南イタリア方言との重なりが多いため、中・南イタリア方言としてまとめられ、その結果イタリア半島の方言は、北イタリア、トスカーナ、中・南イタリアの三つのグループに大別されます。

トスカーナ方言は、イタリア語の基盤です。ダンテがトスカーナ方言を、イタリア方言(俗語と呼ばれていた)の中で当時もっともラテン語性を保つ「高貴なる」言葉として、書き言葉として伝統を誇るラテン語に代わり、イタリア全土に通用しうる言葉として『神曲』に選んだことによります。彼がイタリア語の父と呼ばれる所以です。ダンテは『俗語論』のなかで、今日の言語学者の言葉を先取りするかのごとく、言語は空間と時間により変わる存在であることも論じています。トスカーナ方言が保っていたラテン語性は、この地にもたらされたラテン語を取り巻く環境にありました。トスカーナにはエトルスク語の碑文がラテン語の碑文を上回るほど今日まで伝わっていますが、このまったく系統を異にする言語同士の接触が、ラテン語の変容を最小限に押えたのでしょう。ローマ本来のラテン語の方は、同じイタリック語派に属するオスク語に隣接していたため、あとで見るようにその影響を被り易かったと考えられます。

さて、トスカーナ方言全般にわたる重要な特徴としては、イタリア語となったnotaio「公証人」にみられるように、まずラテン語の接尾辞 -ARIUが -aioになっていることがあげられます(他の地域では -aroほか)。次に、イタリア各地にみられるメタフォニー現象が起こらないことが注目されます。また母音間の無声閉鎖音の摩擦音化もよく知られています。フィレンツェでは、たとえばuna cocacola「コカコーラひとつ」が[ウーナ・ホハホーラ]となったりします。証明は出来ませんがエトルスク語起源かも知れません。ラテン語のĔ,Ŏは、アクセントのある開音節でトスカーナでは2重母音化して、それぞれ[jɛ],[wɔ]になり、これがHĔRI>ieri「昨日」、BŎNU>buono「良い」のように今日のイタリア語に反映しています。北イタリアを含め、ほとんどの主要ロマンス語で姿を消した2重子音が、この地域に入ると聞かれます。fatto「出来事」とfato「宿命」の区別はお馴染みでしょう。ところでlingua「言語」はラテン語LINGUAと変わりませんが、ラテン語のアクセントのあるĬは主要ロマンス語ではeとなり、ヴェネツィア方言でもスペイン語のlenguaと同形です。トスカーナではĬがN+子音の前では保たれているのです(cfr.サルジニア語limba、ルーマニア語limbǎ)。

トスカーナ方言のうち、とくにフィレンツェ特有の現象が基であるため、イタリア語の文法には戸惑うことも起こります。たとえば-are動詞の未来形が、シエナではcantarò「私は歌うでしょう」なのに、フィレンツェではaをeにしてcanteròとなっているからです。同様に動詞の活用のうちcantiamo「私たちは歌う」のような1人称複数の語尾は-AMUSに由来する筈なのに(cfr.スペイン語cantamos)、-iamoはこの地で作られた形を継承しているに過ぎません。

トスカーナは、地域がら北イタリアと中・南イタリアの傾向がときには混在するところでもあります。標準イタリア語で母音間の-s-や-z-に、南の清音と北の濁音を区別したり、北の近過去と南の遠過去が交叉するのも地理的条件に関わる現象かも知れません。トスカーナ方言の特徴のいくつかを思いつくままに並べましたが、中・南イタリア方言に移りましょう。

中・南イタリア方言に共通する重要な特徴として、まず注目されるのは、-MB-,-ND-がそれぞれ進行同化して-mm-,-nn-となる(一部を除く)現象です。イタリア語のmondo「世界」がmonnoに、gamba「脚」がgammaになります。オック語に由来すると考えられます。次はメタフォニーです。その現われ方はさまざまですが、語末母音がアクセントのない、口の開きが狭い-i,-uであると、先行する音節の母音を狭める現象です。アクセントのない語末母音-i,-uのために、先行するアクセントのある音節のe[e],o[o]は、i,uになり、e[ɛ],o[ɔ]の方は中部イタリアではe[e],o[o]に、さらに南では2重母音になります。ナポリ方言の例をあげると、イタリア語のmese「[暦の]月」(単数)、mesi(複数)に当たるものが、語末のアクセントのない母音を曖昧母音にするこの地方では、それぞれmesə,misəです。その結果単複の区別は語幹の母音の違いによります。イタリア語のnero,nera「黒い」(<NIGRU,NIGRA)は、語源の-Uが働いてnirə(男性・単数),nerə(女性・単数)、この場合複数もそれぞれ単数と同形となります。イタリア語のdente「歯」の複数形dentiは、dientiです。ナポリと言えば、ついでにO sole mio「わが太陽」のOはイタリア語のilと語源を同じくする定冠詞です。guaglione「若者」、vongola「あさり」もこの辺りの言葉、pizzaもここから広まったものですが、本来は「ひと口の食べもの」の意でゲルマン系のようです。カンパーニァ州に属するナポリ方言に先に触れましたが、ここで中・南イタリア方言地域の始まるローマとアンコーナを結ぶ線のあたりに沿った地域で、すなわち中部イタリアのなかで、実はアクセントのない語末母音に関して、面白い現象が見られます。本来の語末の-Uが、トスカーナ地方では-oに融合し、標準イタリア語では4つの語末母音体系になっていますが、この地域では保存されているのです。

左右対照のマルケほか型の方が標準イタリア語型よりもより完全な体系と言えます。イタリア語のmondo「世界」(<MUNDO)が、この地域ではmunnuです。

ここでローマの方言(Romagnoloと呼ばれる)を少し覗いてみますと、アクセントの前でのe>a現象でイタリア語のpenserò「考えましょう」がpensarò、中・南イタリアの他の地域でもみられますが不定詞の語末音節が切捨てられて、amare「愛する」がamaとなります。動詞の現在形1人称複数語尾も-are動詞では、-iamoではなく、-amo、したがってたとえばparlamo「私たちは話す」です。イタリア語では「もし・・・ならば」といった条件節に用いられるのが接続法半過去でしたが、ローマでは条件法を用いて、se lo saprei, lo farei「知っていればします」式でむしろ条件に合っているような印象を受けます。

さて遠過去について、一般に北イタリアでは近過去がこれに代わるのに対して、南イタリアでは遠過去が用いられるとされていますが、すでに述べましたシチリア方言も含めて近過去の形式が南イタリアで存在しないわけではないことを改めて強調しておきたいと思います。avere+過去分詞からなる近過去は存在し、ナポリではaggio cantato「私は歌った」です。実際のところ、今日のイタリアではトスカーナにおいてすら文法書に書いてあるような近過去(現在とのつながり)と遠過去(現在とつながりのない)との対立は弱まっていることにも注目しておきましょう。トスカーナではどちらを使うかには個人差もあるようです。

さて、アブルッツォ・モリーゼに入ると、2重母音が増えるのに気付きます。たとえばamico「友達」がameicə、luna「月」がliunə(əは語末の曖昧母音)。2重母音が豊富にみられるのは、実は東ルカーニアからバーリを経て、アドリア海に沿ってダルマティア地方(ダルマティア語は1898年消滅したロマンス語のひとつでした)に至る広い範囲に及びます。語頭の母音(aを除く)が消失してoliva「オリーヴ」がlivəです。驚かされるのは、20進法も存在していることです。モリーゼの中心カンポバッソを訪れた際、quaranta「40」の代わりにddu vəndinə「2×20」という表現もみられました。さらに変わった現象として、イタリア語では近過去を形成する助動詞としてessereとavereの選択が必要ですが、この地方のある方言では、すべての動詞に対して、3人称の単数および複数にはavere、それ以外の人称に対してはessereです。たとえばa scritta「彼は書きました」、so scritta「私は書きました」といった具合に。

遅れましたが、南イタリア方言の重要な特徴として広い範囲で、pi->chi-がみられます。ナポリでchiovəと聞けば、piove「雨が降る」のことです。同様に広い範囲で所有形容詞は、patretə「君の親父」といったように名詞の後に付加されます。

プッリア州では南のサレント地方に入ると、直説法半過去と遠過去が融合する面白い現象に引かれます。たとえばcandeivə「私(彼)は歌った」は半過去と遠過去の形式を同時に備えています(サルジニアのある地方で同様の現象があることに気付き、ヨーロッパの学会で発表したことを想い出します)。

バジリカータ(ルカーニアとも呼ばれる)は、マテーラの洞窟住居跡で知られますが、州の中心はポテンツァです。作家レーヴィが『キリストもエボリに立ち止まりぬ』としているように、そこは旧い伝統を残す孤立した地域であり、言語的にも古風な相を留めています。イタリア語のdomani「明日」に対して、ラテン語CRASに遡るcraiがまだ日常使われています。他の主要ロマンス語ではすでに消滅しているラテン語の動詞の語末子音-S,-Tが、ときには残っています。バジリカータの南部からカラーブリアの北部にかけては、サルジニアに負けずラテン語のアルカイックな母音体系をかなり留めるもの、バジリカータの東部では、その多少進化したものがみられるなど、ロマンス語の発達に関心のある方なら訪れてみたくなる場所です。ティレニア海に臨むマラテーアに泊ったときのこと、ronnaはdonna「女」のことでした。ついでに未来形も南イタリアに特徴的なaggi'a ccanda≪ho a cantare≫「私が歌いましょう」です。イタリア語のcanteròの語尾も、基はと言えばavereの屈折形に由来します。最初は離して用いていたものが、屈折語尾へと文法化したものです。南イタリアで一般的なavere+a+不定詞からなるこの未来形は、今日のイタリア語の、いわば前段階の証しでもあると言えます。現在形で間に合わせのきく未来形自体、その存在価値は低いものと言わざるをえませんが。

最後に、イタリア半島の最南端に位置するカラーブリア州に下りますと、歴史的にはローマ寄りとシチリアに接近した、ギリシャ寄りの二つのカラーブリアが見えます。ギリシャ語からの影響と考えられるものに、不定詞の不使用があげられます。イタリア語ではvorrei sapere「私は知りたい」のように不定詞が用いられるところに、接続詞の助けを借りてvolera ma saccia ≪vorrei che io sappia≫のような構文が出ます。この条件法の形式も、標準イタリア語のものよりは古い段階のものです。Viu a Mario「私はマリオを見た」のように直接目的語(人物)に前置詞aを付けることも南イタリアではよく見られる現象です。副詞の接尾辞-menteが発達せず、しかも形容詞がそのまま副詞として用いられることにも注目しておきましょう。veramente「本当に」の代わりにveru≪vero≫です。なおカラーブリアの限られた地域ですが、fiore「花」がhiureのようにf>hが見られたりします。

イタリア半島を北から南まで簡単な方言の旅をしました。イタリア人の多くが話し言葉では外国人とは標準語であっても、仲間同士になるとその地域訛りか、方言に切替って行くのに気付かれたこともあるでしょう。イタリアはヨーロッパのなかでも方言分化のことに著しい国として知られています。これらの方言は地域主義の根強いイタリアでは標準語と併行して生き続けています。国内には、北イタリアにはすでに触れましたが、南イタリアでもギリシャ語をはじめ、アルバニア語、フランコ・プロヴァンス語などが話される町もあります。イタリアはまさに多言語国家のモデルです。イタリア各地の方言には、ロマンス語圏の各地で起こったさまざまな言語変化と同じものがしばしば見出されることを考慮すれば、イタリア半島はリットル・ロマーニア(ロマンス語圏の縮図)です。すべてのロマンス語はイタリアに通ずると言えるかも知れません。

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