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エッセー集 イタリア散歩道

イタリア留学事情 ~その現場から~

澤田 恵子
ローマ、イタリア語文化センター『トッレ・ディ・バベレ』Le Ali 25号

 この仕事に携わり、早や十数年。嬉しいことに、いろいろな人と接し、多くの質問に出会うことができます。学校スタッフというより、むしろ留学カウンセラーと化しているかもしれません。初めてのイタリア留学であれば尚更のこと、現地での生活の細かい点からイタリア語の学習方法まで、質問は多岐に渡ります。同じ質問でも、相談者が「大胆派」か「慎重派」かで、私の回答の受け止め方はさまざまに変化するのです。

 準備段階では「どのくらい勉強してから行ったら良いか?」とよく尋ねられます。この回答に私ができるだけ添えるようにしている言葉があります。それは「イタリア語ができないから学校に通うのであって、できるのなら通う必要はない」ということです。これは現地で必ず陥るだろうスランプを見越しての言葉でもあります。すると大胆派は「留学すれば勝手に語学力が身につく」と楽観視します。一方、慎重派は、具体的なレベルなどを回答に求めます。この答えとして、あくまでも目安ではありますが、動詞の活用の現在形、近過去形、できれば未来形までは知識として持ち合わせることを勧めています。イタリア語検定試験を例にすると、5級、あるいは4級に合格していると良いのではないでしょうか。

 当然、これが盤石の備えと言っているのではありません。日本でイタリア語を学んでいる時は、先生は日本語を交えて教えてくれますし、生徒も大抵は日本人だけです。留学に備え、勉強してし過ぎることなど決してありません。現地の授業を想像してください。環境にもよりますが、基本はイタリア語漬けの毎日。スピードも、慣れない日本人には非常に速く感じます。このストレスを軽減させるには、出発前の準備を怠らないことが不可欠になります。現地では、欧米人のクラスメートが、会話中に思い思いの意見をその都度挟んできます。日本人には、躾の良さとでも言いましょうか、他人が話している時は黙って聞く習慣があります。すると、どこで割り込んだら良いか判断しかねることが見受けられます。言いたいことを頭で考えてから口にしようとするから、さらに出番はありません。場合によっては、おしゃべり好きなはずが、ただの愛嬌のある人になってしまいます。そこで、ミスを恐れず、必死に割り込む“勇気”が必要になってきます。「間違えを恥ずかしい」と感じる時もあるでしょう。そう思えたら、その瞬間に学んでいるのです。自慢にはなりませんが、私はこの“恥ずかしい”シーンを数多く持ち、どれも再現できるくらい鮮明に覚えています。あまり嬉しくない事実ですが、この積み重ねこそが大切で、実際効果的。忘れたくても忘れられない。恥をかくことはこれ以上ない“記憶メソッド”なのです。また、口から発しない言葉は、いつまでたっても自分のものにはなりません。是非、勇気を持って間違えましょう。ただし、大胆派に一言。恥ずかしさには慣れないでください。失敗をきちんと受け止めず、すぐに流してしまうため、カラダで覚えることをしなくなります。一方、慎重派に一言。間違えることを怖がるあまり、閉鎖的にならないでください。引きこもって、辞書やインターネットと友情を育んでいる場合ではありません。イタリアにどっぷり漬かれるチャンスです。さぁ、外に出て、気さくなイタリア人との会話を楽しみ、たくさんの新しい出会いを発見しましょう! イタリアにいてこそ感じられるもの、気づかされるものがたくさんあるのです。

 実際にイタリアで暮らし始めると、戸惑うことばかり。日本では当たり前のことが、うまく回りません。その最たる原因は言葉。それ以外に文化や習慣の違いから生じるものも少なくありません。留学生は自ら希望してその“違い”に飛び込んだはずですよね。にもかかわらず、イタリアで、日本の生活習慣などをそのまま当てはめ、もがいていることに気づかず過ごしがちです。結果、悪循環に陥ってしまう人もいます。イタリアに留学する人は、何かしらイタリアに関係することに興味を抱いていて、双方の違いにはとっくに気づいているはずです。それに不便を感じることがあるのなら、「日本は便利だ」と捉えれば良いのです。困っているなら、気持ちを表に出すこと。能面のような日本人は、表情だけではなかなか思いが伝わりません。積極的に助けを求めましょう。困難を辛さや障害としてただ捉えるのではなく、新しい発見だと思い、この“違い”を楽しむようにしてください。興味があることには、柔軟性があり、吸収力も早いですから、覚えるスピードは一層加速するに違いありません。

 ちなみに、かく言う私のイタリア留学は慎重なように見えて、実に大胆でした。当時は今のように、指で軽く叩けば情報が何でも手に入るご時世ではなかったとは言い訳できますが、情報収集には積極的ではありませんでした。もう少し慎重に計画を立てれば良かったかなと……。さらには、語彙力のなさから、閉鎖的になって自信を失い、負のスパイラルにもどっぷりはまったこともあります。クラスメートの留学生とは話せても、肝心なイタリア人とは通じないことがとても怖くて無言になりました。それでも、こういった苦い経験も今では「この仕事には役立っている」と身勝手にもポジティブに受け止めています。

最近は1週間から留学を受け入れてくれる学校も増え、イタリアを気軽に感じられるようになりました。午前中は学校に通い、午後は課外授業に参加したり、観光したり。ホームステイ先では、マンマの料理を堪能し、ホストファミリーとの会話も楽しめるでしょう。単なる観光では決して味わえないものが留学にはあります。イタリア語がちゃんと通じるだろうか。授業にはついていけるだろうか。右も左もわからないところで暮らせるだろうか。悩みはつきないかもしれません。けれども、学んだイタリア語をすぐに試し、それに磨きをかけ、加えてその背景にある文化までも直接肌で感じられるのは留学に限ります。動き出すことで見えないものが見えてくるものことがあるのです。新しいことを知ることは楽しい。知らなかったことが自分の知識として身につくことも楽しい。イタリア留学を通して、一人でも多くの人にこの楽しさを実感してもらえれば、語学学校のスタッフとしてこれ以上の喜びはありません。

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