[伊検] 実用イタリア語検定試験 TOP > エッセー集 イタリア散歩道 > あなたの中のイタリアを探して

エッセー集 イタリア散歩道

あなたの中のイタリアを探して

橋田 瑞穂
日伊協会講師Le Ali 27号

 イタリアに興味を持ったのは私がまだ5歳の時。家族の影響でイタリア・オペラの傑作、ヴェルディの『椿姫』の舞台に触れる機会を得て、一気にオペラに恋してしまったのがきっかけでした。その時は、イタリア語というよりはオペラに惹かれていたのですが、幼心に、美しい音楽に乗って歌われるイタリア語のリズム感、音楽性、生き生きとした感情がそのまま宿っているかのような独特の響きに魅せられていったのを今でも覚えています

 その後ウン十年が過ぎ、実際に語学としてイタリア語を学ぶようになったのは最近のこと。それまで、オペラ以外にイタリア語に触れる機会はほぼなかったため、歌ではなく、話されるイタリア語をまともに耳にしたのは、イタリア語の講座に通うようになってからでした。まずもって驚いたのは、オペラで聴き慣れてきた、あのリズム感や音楽性がそっくりそのまま日常の言葉として話されていることでした。普通に話されているイタリア語にちょっと大げさに抑揚をつければ、「そのままオペラになってしまいそう!」というのがイタリア語を聞いた時の第一印象でした。あの美しい響きと音楽性に少しでも近づいてみたい。その奥には、「人々のどんな思いが秘められているのだろう?」「みんな、どんな気持ちであの魅惑的な言葉を話しているのだろう?」そんな、オペラを聴き始めて以来、私の胸に宿っていた素朴な疑問が再びフツフツと湧き出てきて、その好奇心に導かれるままに進んでいったら、なぜかイタリア語講師をすることになって、今日に至ります。

 子供が母国語を習得するのを見れば明らかなように、語学習得の基本は「真似」であると言ってよいと思います。耳に入った言葉や表現を、そのまま口に出して繰り返す。意味がわかるようになれば実際に使ってみる。読んだり聞いたりした言葉を書いてみる。最初は月とスッポンかもしれませんが、めげずに続けていると、もっと「イタリア人っぽく」「イタリア語っぽく」するにはどうしたらいいのか?ということに、次第に意識が向くようになっていきます。ここの発音は「もっとこうすればホンモノに近づけそうだ」「書く時にはこの言葉はあとに持ってきた方が、流れがよくてホンモノっぽい感じがする」などなど。そして「自分が感じていることや伝えたいことを一番的確に表すにはどうしたらいいか?」ということにも意識が向くようになっていきます。そうすればしめたもの。あの、悪名高い(?)接続法なども、「自分が言いたいことを伝えるにはこれがどうしても必要!」と気づくと、いやでも習得してやろうという気になるものであって、嫌々覚えるだけではなかなか身につかないでしょう。このように、私のイタリア語習得は、憧れと、「真似」と、自分の伝えたい思いとの間を行き来する旅であったように思います。美しいものへの純粋な憧れと、自分の中にある、伝えたい思い。この、子供のような無邪気な気持ちが底にあってこそ、時折難解でため息をつきたくなる文法や発音、聞き取りの「壁」を超えていけるのだと、しみじみ感じています

 語学をやっていて面白いのは、違う国の言葉を話すことで、普段日本で生活している時にはお目にかかれない、新たな自分の一面に出会えることです。イタリア語を「イタリア人っぽい発音で」話そうとしてみると、日本語を話す時に、いかに顔の筋肉を使っていないかを痛感させられるでしょう。大きく口を開け、目を見開いて、頬や口周りの筋肉、舌の奥の筋肉などを柔軟に保ち、それらを総動員しないと出せない発音や響きがあるのを、経験された方は多いのではないでしょうか。そして、そういう筋肉の使い方をしていると、面白いことに心理面でも変化が出てくるのです。もっと大胆になったり、オープンになったり、いつもより熱く自己主張できたり、時には「愛してる」などという日本語では滅多に言えないセリフを言えるようになったり(!?)……。「イタリア人って、大らかで人見知りしなくていいな」「感情表現が豊かでいいな」などと「憧れて」いたその要素が、ほかでもない自分の中から自然と湧き出てくる瞬間です。母国語ではない言語という「刺激」を受けて、これまで知らなかった自分の一面が引き出されるのは、忘れていた宝物を見つけたような、ちょっと素敵な気分です。そして、「自分」とは、それまで思っていたよりももっと大きくて、幅広くて、深くて、可能性に満ちた存在なのだと感じられるようにもなります。

 語学の勉強は、縁があれば一生続くもの。時には文法を習得するのにうんざりしたり、試験の結果に一喜一憂したり、一見進歩がないように思えてため息をつきたくなることもあるでしょう。そんな時こそ、イタリア語を学ぶことで出会える新しい自分、イタリア語の中にある「自分らしさ」を感じてみてはどうでしょうか。それとともにイタリア語を始めた時の気持ちを思い出し、新鮮な情熱が再び湧き出てくるのを感じること。実はこれが上達への近道だと、私は思っています。そうすることで語学習得の山も超えられ、何より、イタリア語でコミュニケーションする際に、その人らしさ、その人の美しさが自然とにじみ出るようになります。文法も、試験も、その人の魅力を引き立たせるためのプロセスでこそあれ、「翻訳機械」にしてしまうものではないのです。

 あなたの中のイタリアを、探してみてください。

« 前のページへ戻る