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エッセー集 イタリア散歩道

私のイタリア語学習AMARCORD

内田 健一
京都産業大学准教授Le Ali 28号

今から約25年前、私が大学1年生のとき、初めてイタリア語を勉強するために使ったテキストは白水社の『Passo a passo』でした。A5サイズ、約80ページの小さな本で、必要最小限のことを学びました。先生のお話がとても楽しく、全然関係のない友達を授業に連れていったことを思い出します。学年末に単位は取れましたが、数年後に自分の答案を見てみると、基本的な動詞の活用さえ覚えていなかったことが分かり、とても驚きました。それと同時に、先生にとても感謝しました。泰然と広い心で、イタリアの豊饒なる世界に私を導き入れてくださったからです。

 動詞の活用は、ある程度イタリア語に接していれば、いつの間にか覚えてしまうものです。sapereの活用so、sai、saなどは、今では間違えたくても、間違えられません。そうなると、むしろ、soの古い形としてsaccio、sappo、saoがあり、saiにはsapi、saにはsapeがあるということの方が面白くなってきます。イタリアのテレビのクイズ番組では、ある動詞の遠過去を4択の問題にしていました。司会者がうやうやしく問題を読み上げ、解答者が首をかしげて時間を費やし、正解発表の前にCMが入ったかどうかまでは覚えていませんが……。要するに、馴染みのない活用はイタリア人も覚えていないということです。もちろん私も覚えていません。perdereの遠過去を聞かれたら、persiかな、perdeiかな、それともperdettiかな、と悩んでしまいます(実は3つとも正解)。

 大学2年生のときに使ったテキストは、Guerra社の黄色い表紙の『In italiano』でした。洋書なので日本語の解説はありませんし、イタリア人の先生の解説も少なく、授業は雲をつかむような感じだったと記憶しています。練習問題を先生に当てられると、頭の中が真っ白になっていました。とはいえ、先生の文化紹介は充実していて、知らず知らずのうちに私はイタリアに魅了されていたのでしょう。テキストを見返してみると、とても細かく単語を調べていました。特に食文化のページは丁寧で、例えばパスタのfusilliについては、「fondere p.p. fuso → fusione 融解、鋳造、合併?」と書き込んでいます。納得できずに「?」を付けていますが、当時はこれ以上調べることができませんでした。今ではイタリア語の大辞典が手元に数種類あって、正しい語源は「紡錘、つむ」を意味するfusoだと分かります。それに、「小さい」を意味する縮小辞 -elloの南部方言 -illoが付いているのです。また、ワインのSagrantino di Montefalcoについては、「sagra 祭礼」、「falco 鷹、ハヤブサ」と書き込んでいます。固有名詞や地名の一部分だけを調べるなんて! しかし、その10年後の私は、ベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画を見にモンテファルコを訪れ、サグランティーノも味わって、イタリアの豊饒なる文化に浸っていたのでした。

 大学3年生になると、イタリア文学を専攻したので、現代の日常的なイタリア語には、ほとんど触れないようになりました。ダンテ、ボッカッチョ、マンゾーニ、レオパルディ、ピランデッロ……。今でも読むのに苦労する古典的な作品を、何とか読んでいたのでしょう。予習のために、よく徹夜をしました。イタリア人の先生の授業では、留学帰りの先輩方が積極的に発言して、議論していたのを思い出します。私は隅っこで聞いているだけで、ほとんど話せませんでした。当時、卒論のテーマとして読み込んでいたのは、ダンヌンツィオの1889年の小説『快楽(Il Piacere)』でしたので、私が敬語を使って話すと、現代の標準的なleiではなく、うっかり19世紀ローマ貴族のvoiを使ってしまうというような有様。

 私がイタリア語をそれなりに話せるようになったのは、大学院生になって留学をしてからのことです。イタリア人は優しい人が多いので、少しでも私がイタリア語を喋ると、よく誉めてくれました。生きた会話の中で吸収した言葉は忘れないものです。マントヴァの友人にはsbrisolonaというお菓子を教えてもらいました。その名前は、「ボロボロに砕く」を意味する動詞sbriciolareの北部訛りに由来します。また、ローマの友人にはsgamareという怪しげな俗語を教えてもらいました。「隠されているものを見抜く、犯行現場をおさえる」という意味で、おそらく語源はラテン語のexsquamare「殻を取り除く」です。そして、ヴェネツィアの友人は、私が「~のために何でもする」と伝えるために〈fare tutto per+~〉と言ったとき、さりげなく、正しくは〈fare di tutto per+~〉と直してくれました。この表現は実用イタリア語検定試験によく出るもので、見かけるたびに、その友人を思い出します。 イタリア語学習は結局、passo a passo「一歩一歩、少しずつ」進むしかないようですね。散歩のように、トレッキングのように、マラソンのように自分に合った方法で、進み続けましょう。

 (事務局注: 題名のAMARCORDは、もともとフェリーニ監督の1973年の映画のタイトルで、io mi ricordo「私は思い出す」のロマーニャ方言に由来します。現在は「ノスタルジックな回想」を意味する普通名詞として使われています)

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