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エッセー集 イタリア散歩道

私たちの生徒へのアドバイス

Giovanni Amoretti
日伊学院講師Le Ali 29号
(訳/第25回1級合格 武田明子)

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Un consiglio ai nostri studenti

 Buongiorno a tutti! Innanzitutto lasciate che mi presenti: mi chiamo Giovanni e vivo in Giappone da circa trent’anni. Trent’anni!? Oh, mamma mia, quanti anni sono passati! E ciò significa che insegno l’italiano da altrettanti anni.

 Ma voi mi direte: hai davvero pazienza! Forse sì, come del resto mi dicono spesso i miei studenti. Per fare questo lavoro (1)penso che una delle caratteristiche fondamentali sia avere proprio una buona dose di pazienza. Dico questo perché quando si insegna a persone, nella fattispecie i giapponesi, che hanno delle basi culturali completamente diverse da un italiano è difficile, non “insegnare”, ma “trasmettere” i concetti che la lingua contiene. In altri termini spiegare perché gli italiani usano determinate espressioni e che cosa esse effettivamente significhino.

 Quest’ultimo problema deriva anche dalla maniera in cui si studia. Infatti una delle tendenze che hanno gli studenti è quella di tradurre parola per parola perdendo così il vero senso dell’insieme. (2)L’italiano va infatti interpretato in un contesto specifico (3)altrimenti si prendono degli abbagli grossolani. (4)Per evitare questi fraintendimenti bisognerebbe che si usasse un po’ meno il vocabolario, poco adatto all’interpretazione specifica delle parole, e affidarsi all’esperienza dell’insegnante che saprà indirizzare verso una comprensione più veritiera.

 Altro “problema” da aggiungere è quello legato all’illusione che le lingue romanze siano praticamente identiche, quindi chi ha studiato, mettiamo, il francese, automaticamente potrà parlare l’italiano e viceversa. Per non parlare poi dello spagnolo che, mi scuserete il pizzico di ironia, è considerato alla stregua di una variante leggermente passionale dell’italiano, (5)data l’indole tradizionalmente focosa del popolo iberico, capace del resto di produrre melodie ammalianti come il flamenco. Purtroppo, o per fortuna, le cose non stanno in questi termini. Spesso parole simili hanno significato molto diverso e questo genere di errori che gli studenti “commettono” non sono semplici da correggere.

 Per non parlare poi dell’idea di poter veicolare l’italiano attraverso la lingua inglese, (6)di cui, seppure si possano conoscere i fondamenti, non si è mai padroni abbastanza, per poi finire malauguratamente nell’incappare nello stesso errore che vale per le lingue romanze e cioè di utilizzare dei termini anglofoni come se effettivamente fossero italiano.

 (L’italiano è “l’italiano”, è questo che noi insegnanti cerchiamo di spiegare agli studenti, (7)facendogli capire (8)che lo sforzo che fanno nel comparare tante lingue è spesso controproducente, (9)perché li allontana dallo scopo ultimo che dovrebbe essere quello di diventare “solo” dei buoni discenti della lingua italiana.

 Parlare “una” lingua già è di per sé qualcosa di straordinario, perché di fronte a noi è (10)come se si aprisse un nuovo mondo fino ad allora sconosciuto e, anche se qualche volta può lasciarci perplessi,sicuramente ci darà la possibilità di arricchirci culturalmente.

 L’importante è perseverare. Come dice il vecchio adagio (11)“Roma non fu fatta in un giorno”.

私たちの生徒へのアドバイス

みなさんこんにちは! まずは自己紹介をさせてください。私はジョヴァンニ、日本に住んで30年ほどになります。30年!? まったく、ずいぶんな歳月が流れたものです。それはつまり、同じ年月イタリア語を教えているということでもあります。

そこでみなさんはおっしゃるでしょう。「ほんとうに我慢強いのですね!」と。その通りなのでしょう。だって、私の生徒たちからもよく言われるのですから。この仕事をするために欠かせない特質のひとつは、まさに相当な忍耐力を持ち合わせていることだと思います。このように言うのも、理由があります。私が人に教えるとき-特に、イタリア人とはまったく異なる文化を持つ日本人に教えるとき、何が難しいかというと、イタリア語のもつ概念を「教える」のではなく「伝える」ことです。別の言い方をするなら、イタリア人がある決まった表現を使う理由を説明したり、それらの表現が実際にどんなことを意味しているのか説明したりするところに難しさがあるのです。

この後者の問題は、学習方法から生じる問題でもあります。実際、生徒たちにありがちなのが、言葉を一語一語ばらばらに訳してしまい、全体での意味が失われてしまうことです。イタリア語は現に、具体的な文脈で解釈しなければなりません。そうでなければ、大きな思い違いをしてしまうのです。このような勘違いを避けるには、辞書を使う頻度をちょっと減らす必要があるでしょう。辞書は、言葉の具体的な解釈にはあまり向いていないのです。そして、教師の経験に任せることが必要となるでしょう。より真に近い理解へ導く方法を分かっているはずです。

もうひとつ「問題」があります。ロマンス諸語は実質的に似たもの同士だから、たとえばフランス語を学習した人は自動的にイタリア語が話せるだろう、またはその逆もしかり、という幻想に結びついた問題です。またスペイン語については、少々皮肉めいた言い方になりますが、フラメンコのような魅惑的な旋律を生み出せるスペイン民族の伝統的に血の気の多い性質による、イタリア語のちょっと情熱的な別バージョン、という見方がされているのは言わずもがなです。しかし、と言おうか、幸いに、と言おうか、事実はそうなってはいません。似た単語なのに意味は全然違うということがよくありますし、生徒たちが「犯す」こうした間違いは簡単に直せるものではありません。

また言うまでもなく、英語を通じてイタリア語がわかるという考えも、基礎的な知識は得られるかもしれませんが、けっして十分な習熟には至りません。そして不幸なことに、結局はロマンス語の場合と同じ間違い、つまり英語の語彙を実際にイタリア語であるかのように利用してしまうという間違いに陥ってしまうのです。

イタリア語はイタリア語です。これが、われわれ教師が生徒に説明しようと努めていることです。たくさんの言語を比較することに四苦八苦するのは、しばしば逆効果であることを理解してもらいたいのです。なぜなら、イタリア語の良き生徒たちのただ1つの目的であるはずの最終的な目的から、生徒を遠ざけてしまうからです。

ひとつの言語を話すということは、すでにそれ自体が驚くべきことです。私たちの前にそれまで未知だった新しい世界が開かれるようなものだからです。そして、ときには途方にくれるようなことがあったとしても、きっと私たちに文化的な豊かさをもたらしてくれるはずです。

大事なことは持続することです。古いことわざで言われるように。「ローマは一日にして成らず」と。

ジョヴァンニ・アモレッティ(著書:『この一冊で合格! イタリア語検定4・5級テキスト&問題集(ナツメ社)』『改訂版 耳が喜ぶイタリア語 リスニング体得トレーニング(三修社)』、実用イタリア語検定過去問題集編集に協力)

文法解説

初級・中級レベルの方々には単語も構造も難しく感じられると思いますが、実用イタリア語検定で出題される文法事項が随所に散りばめられていますので、試験対策の参考としてください。

(1)初心者の方々にはまだ馴染みのない接続法という法です。先ずはこのような形があるということを覚えてください。主節で、pensare、credere、sperareなどの動詞のように、主観的な気持ちを表す動詞を用いるとき、従属節の動詞には、接続法が用いられます。例)Penso che la risposta sia giusta.(その答えは正しいと思う[接続法現在])siaがessereの接続法3人称単数現在形。なお、接続法には、現在、過去、半過去、大過去の4つの時制があります。

(2)[andare+過去分詞] 受動態で「…されなければならない」という意味です。infattiは本来接続詞ですが、ここでは副詞的に用いられ、「現に、実際には」などの意味となっています。

(3)prendere un abbaglio「勘違い、思い違いをする」。主語はdegli abbagli grossolaniで、この場合は部分冠詞の複数形で、代名小詞のsiを伴う受動態の形をとっています。直訳すると「いくつかの大きな勘違いをする」となります。

(4)ここの1フレーズは構造が少し複雑で難しいですね。5級、4級レベルの方々にはまだ見なれない条件法という用法が使われています。非人称動詞のbisognareが条件法現在の形を取り、婉曲的な表現が用いられ「…する必要があるでしょう」となっています。「必要」なものは、che以下と、affidarsiの2つ。che以下の従属節は、bisognareが条件法の形を取っているため接続法半過去となり、代名小詞のsiを伴う受動態の動詞の形を取っています。主語はil vocabolario「辞書」です。affidarsiは再帰動詞で、前置詞のaを取ります。構造的にbisognerebbe che si usasse… e bisognerebbe affidarsi all’esperienza…となっていると考えると分かり易いでしょう。affidarsiに続くcheは関係代名詞で、主語はinsegnanteです。

(5)[dato+名詞]「…であるために、…であるから」。datoは後ろに続く名詞に応じて変化します。例)date le circostanze ho accettato 「こういった事情のため、私は受け入れた」。

(6)di(前置詞)+ cuiは関係代名詞の用法の一つです。di cuiの先行詞は、少し離れていますがdell’ideaです。seppureは仮定の譲歩を表し、「たとえ…であっても」と訳され、接続法の動詞を取ります。essere padrone di + 不定詞は「精通[習熟]した」の意味で、代名小詞のsiを伴う非人称の形となっています。

(7)ジェルンディオという不定法の一つです。この場合は、facendoにagli studentiを示す人称代名詞の間接補語gliがついた形となっており、「理由」を表しています。また、facendoは使役を表すfare。facendogli capireで「生徒たちに理解してもらう[させる]」という意味になります。

(8)2つ目のcheは強調構文の形をとっており、fannoの主語はgli studenti、目的語はlo sforzoでこのlo sforzoが強調されています。nel comparareはnel + 不定詞で、「…するとき、…しながら」のような意味を持ちます。

(9)liは直接補語の人称代名詞で、この場合はgli studentiを示します。dovrebbeは条件法の形を取っており、推量を表し「…のはずです」と訳します。Quelloは前出した名詞の重複を避けるための指示代名詞で、scopoの代用となっています。

(10)[come se + 接続法半過去[大過去]]「まるで…かのように」。si aprisse un nuovo mondoは代名小詞のsiを伴う受動態です。

(11)Roma non fu fatta in un giorno.「ローマは一日にして成らず」fu fattaは直説法遠過去の受動態です。 (解説:Le Ali編集部)

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