エッセー集 イタリア散歩道
<イタリアと仕事をするということ>
- 堀込 玲
- IBグロワーズ合同会社代表(担当ブランド:オリタリア/ラ・モリサーナ)
『旅の指さし会話帳』イタリア 著者
Le Ali 34号
私が、大学でイタリア語を専修し、卒業後30年近くイタリア関係の仕事をしつつ、イタリア語会話の書籍も出版している、と書くとさぞかしイタリア語が流暢と期待されそうであるが、残念ながらそうではない。これでも学生時代は一生懸命勉強したつもりであるが、要領が悪いせいか、大して成果も出ず、成績は普通だった。
最初にイタリア語の通訳でお金をいただいたのは、大学2年生のとき、アパレルの展示会での一日通訳だった。ホテルの一室にイタリアのメーカーの人が来て、全国からブティックのバイヤーが買い付けに来るのを通訳するのである。しかしこちらは貿易のことなどなにも分からない上、イタリア語もあきらかに商業通訳レベルにはない。今振り返れば、当時は実用イタリア語検定4級も受からないであろうレベル。朝からひたすらバイヤーが来ないように祈り、来ても通訳をしないで済むように祈り、早く時が過ぎるようにひたすら祈り続けた。今考えたらメーカーのおじさんには本当に申し訳ないのだが、30年近く前だから時効にしてほしい。その後、3年生のときに京都北ロータリークラブ様の奨学金により、半年間のフィレンツェ留学の機会をいただき、ようやく少ししゃべれるようになって帰国した。さすがにこれくらい勉強したら実用イタリア語検定2級は受かるのではないか、と帰国後受験してみたが、見事に不合格。対策しないで受かるほど、甘くはなかった。卒業後もイタリア関係の仕事がしたく、イタリア専門の貿易商社に勤め、4年間ミラノに駐在させていただいた。そして本格的にイタリア人と仕事するようになった。一括りに「イタリア人」と言っても千差万別。様々な性格の持ち主で、共通項を見出すのは、大変難しい。(写真はコロナ前、お互いの文化相互理解のための観光)
イタリアは欧米諸国の中ではエリン・メイヤー(注:1971年、米国生まれ。異文化理解に基づく組織行動学が専門)も言うようにハイコンテクストの傾向があり、日本人に近い感性や道徳観を持っているように思われる。そのため、一緒に仕事していても、大きな感性の違いを感じないため、比較的齟齬が生じにくい。
では、イタリア人と日本人の仕事での大きな違いはどこにあるのか?
その一つは、「論理的な表現」にあると感じる。「論理的」に表現できるかどうかは、特に人前で話す、ビジネスでいえば「プレゼンテーション」や「商談」の場において大きな違いとなって現れる。論理的にプレゼンテーションを行い、または質問をすることに多くのイタリア人は慣れている。イタリアでは小学校から口頭試問が行われるという。自分の考えを論理的に説明できることは、特に外国人と仕事する上で大切なスキルとなる。(写真はイタリアでのイベント後の打ち上げにて)
しかし残念ながら、日本はそのような教育がまだ比較的少ないように思われる。今、日本にいてもグローバリズムは確実に私たちの生活にも多大な影響を与えていて、身近なコンビニエンスストアやオフィスで働く外国人も増えている。みなさんも外国人の方と仕事する機会は増えたのではないだろうか。それにともなって、世界のビジネスの現場で求められているダイバーシティ&インクルージョン、つまりは「どんなバックグラウンドの人でも偏見なくその人の価値を認めよう」という考えが重視されてきている。「バックグラウンド」には、国籍、宗教、LGBTQなどが含まれる。そのような自分と異なる価値観の人を結び付けているのが「ビジネスエシックス」、倫理観となる。異なる「教育」、「宗教」などの価値観を束ねる倫理観が、より重要な価値となってくる。私自身もイタリア人と仕事をするとき、この倫理観を高く持つことで、より高い質の仕事をできるように務めている。最初はイタリアの文化に興味を持ち、始めたイタリア語であるが、仕事をし、世界を見渡して、今はそんなことを考えている。
語学を学ぶことは、武道の修行のように、「半紙を一枚一枚重ねる」行為に似ている。一日さぼってもその差はわからないが、百日経ったときに、その差は歴然としている。その「百日」の目安として、これからも実用イタリア語検定を多くの方に活用してもらいたい。試験会場では、全国で同じように半紙を積み重ねてきた仲間と出会え、それまでの勉強の成果を試すことができる。緊張とプレッシャーも大きいと思うが、それは自分がなにかに「挑戦」している証として、誇りをもってチャレンジしてほしい。私のように一回の不合格であきらめることなく。