エッセー集 イタリア散歩道
<なぜイタリアの絵本か?>
- 四方 実
- チェルビアット絵本店
Le Ali 35号
「一体なぜイタリアなんだろう?」このエッセーを綴るに当たり、改めて自分自身とイタリア、絵本との関わりについて振り返ってみました。
もともと私は特にイタリアとの深い関わり合いがあったわけではありません。サッカーをしていたので、大学時代に「ヨーロッパに留学してみたいなぁ」と漠然と思い始めたのが最初のきっかけだったように思います。その時も「絶対にイタリアへ!」と考えてはいませんでした。ただ、高校のサッカーの練習試合の帰りに、先輩に連れて行ってもらったカプリチョーザで食べたライスコロッケが、なぜか思い出されてイタリアが気になっていました。高校生の私にとってはライスコロッケなんてものは食べたことのないお洒落な食べ物だったので、カプリチョーザが魔法のレストランのように思えたのです。そうしてイタリアへ留学したいと思い始めた私は、大学生からイタリア語の勉強を始め、3年生の夏休みを利用してシエナの語学学校へ短期留学をしました。
私自身が奈良の出身ですので、イタリアでもフィレンツェやローマという大きな町ではなく、小さな町へ行きたいと思い、当時の私にとっては聞き馴染みのなかったシエナを留学先に選びました。(写真は語学留学したシエナにて)
イタリアについたその晩に、同じ飛行機に乗り合わせていたスペイン人の大学生に声をかけられ、「ホテルが予約できていない」ということで私が泊まるホテルを紹介することになったのですが、そのホテルが満室で空き部屋がなく、相部屋で泊まることになりました。まだほとんど喋れないイタリア語と英語とジェスチャーを使って何とか意思疎通を図り、一晩語り明かしたことはまだ記憶に新しいです。翌日にはフィレンツェからシエナ行きのバス乗り場で切符を買うのを手伝ってくれました。そのスペイン人は親切な学生さんだったので良かったものの、今思うと盗難や強盗に遭う可能性もあったかもしれないな、と当時の自身の懐の深さ(?)に驚きを覚えます。
その後、シエナについてから道に迷ったため、ホームステイ先になかなか辿り着けず、マンマに心配をかけることもあり、私の波瀾万丈な留学生活が始まりました。時間の経過と共に、拙いものですが、少しずつイタリア語が通じるようになってきて、友人ができ、パリオを見たり、ヴェネツィアやピサに旅に出たり、サッカーをしたり、野外映画を見たり、と忘れられない思い出が積み重なっていきました。その夏の体験が私の心に強く残り、帰国する頃には「イタリアと関わって生きていきたい」と心に決めていたように思います。
そして、イタリアと関わるために、半ば無理矢理スローフードを論文のテーマにし、フィールドワークという名目で大学4年生の時に再度シエナへ留学しました。これが私のイタリアとの関わりの始まりとなり、帰国後就職した会社でも貿易業務を通じてイタリアとの縁が繋がり続けることになっていきます。(写真は大学院生時代_フィレンツェの小学校にて)
シエナでは当初、ダンテ・アリギエーリという語学学校に通っていました。その学校の文化講座で私は自分の人生の方向を決定づける短編集、『Il libro degli errori(まちがいだらけの本、ジャンニ・ロダーリ著)』と出会います。ある先生が唐突に机の上にあぐらをかいて座り、「ロダーリとは……」「この短編集は……」と、著者と作品についてとうとうと魅力を語り始めました。イタリア語では発音されないH(アッカ)ちゃんが主人公の物語「L’acca in fuga(逃げたHちゃん)」や動詞の近過去の助動詞に用いるessereとavereの言い間違いを主題として南北格差や物事の本質に触れる「Essere e avere」など、その先生の紹介する一つ一つの物語に一気に引き込まれる自分がいました。
「L’acca in fuga」ではHちゃんがいなくなってしまうことによっていろいろな不都合が起こります。chiave(鍵)は、ciaveになりみんな家に入れなくなってしまう。bicchiere(瓶)は、粉々に砕け散るし、Chianti(トスカーナ産ワイン)も不味くて飲めたものではありません。その短編集には私の知らないワクワクが詰まっていました。「Essere e avere」では、andare(「行く」を意味する自動詞)の近過去、一人称単数の正しい形sono andatoではなく、誤った形のho andatoと言ってしまう南部出身の2人組が現れます。とある教授が言葉の間違いを正そうとするのですが……、「私は教育を小学生の途中までしか受けられていません。働かなければなりませんから。でもho andatoと言ってしまうことはそんなに悪いことでしょうか?」。ho andatoでも「私は行った」という意味は伝わる。言葉の間違いを正すこと、社会の構造を正すこと、果たしてどちらが真に正しいことなのか、教授は考え込んでしまいます。クスっと笑える物語の中で同時に社会問題を定義する内容に、私は衝撃を覚えてしまいました。(写真はボローニャ国際児童図書展にて)
「子ども向けの本にはこんなにも社会的なメッセージや読者への問いかけが込められているのか」、とそう驚いたものです。この本との出会いから私はイタリアの児童書の魅力に魅せられていくことになります。
児童書にはもう一つ深い思い出があります。大学院生時代に留学していたフィレンツェ大学で誕生日にイタリア人の友人たちから児童書『Susanna e il soldato(スザンナと兵士、ピニン・カルピ著)』をプレゼントしてもらいました。孤児院にまつわるお話で虐待のはびこる施設から抜け出した少女を退役軍人が守っていくという物語です。家族の在り方、戦争との向き合い方、社会の歪などを同時に描きながらも物語に流れる愉快な語り口のおかげで重いテーマと深刻になりすぎずに楽しみながら向き合える素晴らしい良書だと感じました。いつか日本で出版してくれないだろうかと願い続けている一冊です。(写真はパルマの本屋さんにて)
こうして児童書の魅力に取りつかれたものの、当時はまだ(今でもまだまだですが)到底、邦訳のない児童書を独力で読み通すことはできません。そこで私は絵本で物語を楽しみつつイタリア語を習得するのは良いのではないかとの思いに至ります。そんな折、シエナ大学で知り合ったサルデーニャ島出身の友人の実家に遊びに行くことになり、「サルデーニャまでの旅のお供に今こそ絵本だ!」と勇んで『Il piccolo principe(「星の王子さま」のイタリア語版)』と、その他、数冊の絵本を購入して電車や飛行機の移動時にかじりつくように読み始めたのです。ところが遅々として読解が進みません。こんなにも絵本とは読むのが難しいものかと途方に暮れてしまったのですが、この出来事がモチベーションとなり絵本にも興味を持ち始めていきました。その時に購入した絵本の中の1冊は舞台が中国で、マンダリンオレンジとクレメンティンオレンジが王と王妃に擬人化された物語で設定が面白く引き込まれてしまいました。『星の王子さま』も「見栄」や「欲」など人の性質に鋭く切り込む話のように思われて、「絵本はもっと大人も読むべきなのではないか?」との思いに駆られ、いつかイタリアの本や絵本を日本に紹介する、届けることでイタリアと関わり続けられる人生を送りたいと思うようになりました。(写真はパルマの本屋さん)
こうしてイタリアの絵本や児童書と関わっていきたいとの想いを深め、サラリーマンとして働く傍ら、未邦訳のイタリアの絵本や短編集を訳して原文と併記してフェイスブックやブログなどにあげていくということをはじめました(当時は著作権についてあまり気にしておらず原文と訳文をあげてしまっていましたが、今は著作権に抵触する為この活動は行なっておりません)。そうしているうちに作家さんやイラストレーターさん、出版社さんとSNSを介して知り合いになり、ブログを読んでくれた日本の読者様から「感動しました」といったメッセージなどを頂く機会も得て、書店としてイタリアの読み物を紹介していきたいと思うようになりました。そこで未邦訳の作品に出版社さんや作家さんから著作権の許可を頂けた絵本には私訳とあらすじ、作家さんの資料を日本語でつけてイタリア語が読めない方でも楽しんで頂ける形で絵本を紹介・販売するネットショップを副業ではじめました。著作権の使用許可が下りないものに関してはあらすじを日本語で準備し、SNSで紹介しながらネットで販売を行っていました。
絵本は出張で渡伊する際に書店で買い付け、日本にいる時は出版社さんから直接発送してもらう、ネットサイトで購入する、といった方法で仕入れていました。当初は独立の気持ちもなかったのですが、夫婦共に海外出張のある仕事で娘との時間がなかなか確保できない、イタリア語の非常勤講師をしている先輩から講師としての仕事のお誘いを頂いた、という私ごとの事情も重なり、会社員を退職して書店とイタリア語講師、時折頂く通訳や翻訳のお仕事で生きていこうと決め現在に至ります。(写真はミラノ 絵本の作家さんと打ち合わせ)
これからは、書店という形を超えて様々な形態でイタリアの文化を伝えていけたらと思っています。
今、私が運営しているチェルビアット絵本店では絵本や本だけではなくイタリアのお菓子なども少しずつ紹介や販売を始めています。ただ販売するだけでなく、トルタ・カプレーゼ(カプリのケーキ)や、バーチ・ディ・ダーマ(貴婦人のキス)といったイタリア語の意味がわかるとお菓子の名前も楽しんで頂けるものや、クリスマスシーズンに食べるパネットーネなど、お菓子のルーツや歴史が興味深いものなどを説明書きと併せて紹介することでイタリアの文化や風土を併せて知ってもらえるように工夫をしています。
その他、オンラインのイベントで翻訳者さんや作家さん、イラストレーターさんや出版社さんなどと対談し、作り手の方々の想いを汲み上げながらイタリアらしさを紹介するという試みを行なっています。
イタリア語の講師としての仕事を行う際には「枕の下に乳歯を置く」という欧州の風習をテーマにした絵本を教材に使って講義を行い、文法や読解を進めるだけでなくイタリアの文化を併せて伝えられるようにしたり、日本の絵本(例えば鬼が出てくる絵本)にイタリア語であらすじを付けてイタリアの方々に日本の文化を伝えながら絵本を紹介・販売したりもしています。奈良の絵本ホテルという本に囲まれる宿泊施設では選書を担当させて頂き、海外の文化が伝わるような本や絵本をメインに置かせて頂いています。これらの活動に加え、今後はまだ日の目をみていないイタリアの絵本や本の翻訳や出版に関わっていけたらと思っています。作り手の想いが込もるもの、難民やジェンダー、環境問題など社会的な意義を感じられる読み物ではあるが、出版社さんが商業出版で利益を上げる程の数は見込めない、あるいは刷れない絵本や本を少部数でも翻訳出版できる形を作ることを次の夢・目標としています。
これらのような、店の枠組みに収まらない様々な形でイタリアの文化を伝えていけたらと夢見ております。(写真は イタリア文化会館(絵本公演通訳))
事務局より:このエッセーを執筆していただいた四方さんは、奈良県で『チェルビアット絵本店』と『二つの扉書店』の2つのweb書店を運営されています。前者の店舗は、イタリアの絵本を取り扱い、6組で運営される協働書店『cojica books』にも出店しています。後者のお店は、イタリア関連の新刊本や古書、珍しいイタリアのお菓子なども扱っています。サイトには、詳しい書評が出ているので、「イタリア語の本が読みたいけれど、何を読んだらいいかわからない……」といった人にも、ぴったりの本が見つかるはずです!
『チェルビアット絵本店』では、絵本の販売のほか、オンラインで、翻訳関連を中心としたイベントも開催しています。
・いたばしの翻訳コンクール大賞受賞の方々との対談
・関口英子さん&岩波書店の編集者さんとの対談
・京都外国語大学、橋本先生との対談
・さまざまな言語の翻訳者さんとの対談など
また、ブックマーケットのイベントの出展も行っています。
・さくらマルシェ(奈良県立情報図書館)
・猫の絵本(カフェオリオン)など
詳細は、お店のHPでご確認ください。
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