エッセー集 イタリア散歩道
<イタリア語のあいづち>
- 京都外国語大学准教授
- 花本知子
Le Ali 36号
これまでの自分の歩みを振り返ると「あのとき確かに、イタリア語漬けの日々を過ごしたなあ」と感じられる時期があります。そのひとつが、日本語-イタリア語辞書の改訂にたずさわった2006年春からの約2年間です。
当時、ほぼ毎日小学館に通って朝から晩まで過ごし、『和伊中辞典』〈第2版〉の原稿整理、修正、語彙の使い分け解説や語法の作成などに明け暮れていました。その際「あいづち」という見出し語の記載内容を見直したことが、とても印象に残っています。
「雨」という名詞であればイタリア語ではふつうpioggia、そして「雨が降る」はpiovereと言うように、一語で対応する語彙があるケースと違い、「あいづち」や「あいづちを打つ」には定まったイタリア語表現がありません。「鰹節」を見たことがないイタリア人に伝えようと思えば、素材や製法、使い方を盛り込んだ説明的な訳を使うことになるので、そのような場合にも「誰もが常に同じイタリア語表現で表す」、とはならないでしょう。
しかし「あいづち」は「鰹節」とは違い、イタリア語圏においても日常的に広く見られる現象です。にもかかわらず、「昨日駅に行ったらね、」「うん」「券売機にお金を入れても何も買えないし返金ボタンも反応しなくなってね、」「えー! それで?」という会話の「うん」とか「えー!」などというあの短い言葉たちは、イタリア語の世界では「まだ名付けられていない」ということになろうかと思います。
「あなたの話をちゃんと聞いていますよ」を表す「あいづち」ですが、『和伊中辞典』〈第2版〉で新たに作成したイタリア語訳は、やや力点が違うところにある表現になっています。卓越した日本語の使い手であるイタリア人校閲者が交代で小学館に詰めておられたので、その先生方と相談しながら作った訳語です(注:電子辞書では〈第1版〉が収録されており、〈第2版〉は紙辞書やiPhone / iPadアプリ等でしか読めない模様)。
その際イタリア語訳に添えた注記が、「◆イタリア語の会話では日本語の会話ほどあいづちを打たず、ただ相手の話を聞くことが多い」というものでした。では、イタリア語会話の「あいづち」はどれくらい少ないのでしょうか。
それを解明(?)すべく、2010年夏に早稲田大学で行われた研究会で「日本語のあいづち、イタリア語のあいづち」と題した口頭発表をしたことがあります。
まず、あいづちを打つ頻度やその機能は、性差、年齢差、聞き手と話し手との関係などによって左右されると思われたため、できるだけ似た条件下で比べようと考えました。そこで使ったのが日伊のラジオ番組の録音です。いずれも健康番組で、(A)「司会の女性アナウンサーが男性の医師に話を振り、その日のテーマ解説をしてもらう会話」と(B)「女性リスナーによる電話相談を、司会の女性アナウンサーが聞く会話」を書き起こしました。
たった1ケースずつの分析でしたが、ともかく、浮かび上がってきたのは次の点です。(A)の場合、双方のあいづちの合計が日本語会話では「1分間に約12回」、イタリア語では「1分間に約1.7回」。(B)の場合、日本語では「1分間に約13回」、イタリア語では「1分間に約4.5回」。つまりこの結果のみに基づけば、イタリア語の会話では「日本語の感覚であいづちを打つと打ちすぎになる!」と言えます。「あいづちを10回打ちたくなるところ、2〜3回に留めておく」というイメージでしょうか。
イタリア語会話で(A)(B)の頻度に大きな差があったのは、「司会者と医師」「司会者とリスナー」という関係の違いによるかもしれません。「理路整然と話ができそうな専門家」の話は、安心してただ聞いていればよい。しかし「どんな相談か、またどれほどまとまった話ができるかが未知数のリスナー」に対しては、なるべくスムーズに話を引き出したい気持ちから、あいづちが増えている可能性があります。
あいづちの種類としては、改まった状況下ということもあり日本語では「ええ」「はい」が多く、イタリア語では「sì」「uhm」が主でした。「uhm」は軽く「ん」「ふん」「うん」と言っているように聞こえるあいづちです。印象的だったのは、イタリア語会話ではこれらのあいづちを挟みたくなる隙がほぼなかったこと。話はマシンガンのように繰り出され、あいづちが打たれることはあまり想定されていないようでした! 道理で「名前はまだない」わけです……。
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