みんなの受験体験談
職場で実感 イタリア人気質
- 大庭 麗
- イタリア料理研究家
イル・クッキアイオ イタリア料理教室
20代のはじめ、イタリアのリストランテでの料理の修業を目的に、イタリア語の勉強をはじめ、その後イタリアへと渡りました。日本から年間、約1万人の料理人がイタリアへ修業に行っていると言われていたその当時。できる限り日本人の居ない地域のお店で修業をしたい。そんな思いから選んだ地域は、常に片田舎のリストランテ。伝統的な料理を作り続ける店、クリエイティブな料理を提案する店など、修業先を変えるという事は、常に大きな変化であり、土地が変われば、料理も変わり、言語も変わる、そんなイタリアという国を目の当たりにしました。強いアクセントのトレンティーノに、呪文のような方言のプーリアと言ったように、イタリア人でも理解できない様な方言の飛び交う地域をはじめ、マルケやエミーリャ・ロマーニャと移り住むたびに、言葉には結構悩まされました。
イタリアではしばしば、地域によって食材の呼び方が異なります。特に魚介の名前にはそれが顕著に表れるようで、辞書をひいても魚介の名前が載っていないことが多いのは、その種類の多さからではないかと思います。そんな中イタリア人の新しい同僚たちにとって、他の地域の異なる言い回しを喋る外国人の私は、滑稽であったのか、世話好きな彼らならではか、必ず“No, non si dice così!”とよく言い回しを訂正されたものでした。そして、郷に入っては郷に従う、その繰り返しの中で、その時々の自分の置かれた環境に、徐々に馴染んでいきました。そんな中いつの頃からか、自分の中でできたひとつのルールがありました。それは、その土地、土地ならではの表現方法や、言い回しを覚えながらも、基本的にはスタンダードで標準的なイタリア語を喋り続けよう。それは、その当時、一ヶ所に定住するつもりがなかった事もあり、北イタリアっぽさ、南イタリアっぽさと言った地域色に染まり過ぎない事で、次の地でもまたその新しい環境に順応していこう。そんな理由からでした。
そんなイタリアでの厨房において、お店の顔でもあるシェフは常にリスペクトされています。しかし、たとえシェフや上の人間に対してであれ、おかしな事や、意見が異なる場合は、自分の主張や考えをしっかり相手に伝え、とことん話合う光景がよくありました。感情と情熱を芯に持つ彼らならではの、性分なのかもしれませんが、時にはそれが、派手な口論になり驚くようなシーンに出くわす事も何度かありました。傍で見ていると、この二人は絶縁して、同僚は仕事も辞めてしまうのかもしれない。と勝手に深刻に考えるような状況などもありました。しかし当の本人たちは、数時間後には、近くのバールで仲良くカフェを飲んでいたり、あっけらかんと、横で鼻歌を歌いながら仕事をしていたりと、その切り替えの早さには、驚かされました。元に信頼関係があるからこそ、後腐れがなく、有意義な意見交換だったと割り切れるのでしょうか。いずれにしても、そういった気持ちの切り替えの早さは、彼らならではの特技と思いつつも、関係のないこちらの方が若干、調子が狂ってしまいます。
そしてもうひとつ。どのような仕事にも起こりうる、予期せぬハプニングや、時間的にどうしても間に合わないと思われる時のイタリア人の対応力。いざという時のポテンシャルの大きさを、様々な場面で感じました。個人的な見解では、多くの日本人は、うさぎとかめの物語に登場する“かめ”タイプ。小さな積み重ねを大切にし、着実に物事を進め、結果に到達しようとするのに対し、イタリア人は、余裕余裕と、ギリギリまでのんびり構えています。決して、イタリア人がいつもさぼっているとか、そういったステレオタイプを強調する訳ではありませんけれど……. そして、いよいよリミットが差し迫ると、大慌てこそしますが、その後はアクセルを全開にして、不可能かと思われることを、結果的には時間内にやり遂げてしまうのです。切迫した状況に置かれると、普段には想像できないような力を出すその様は、まさに火事場の馬鹿力。ただその言葉の意味合い通り、ハラハラ、ドキドキしながら、そういった切迫した状況をくぐり抜ける訳です。そして終わってみると「いやぁ、あの時はどうなるかと思ったけれど、Ce l’abbiamo fatta! やり遂げたね」とその話で盛り上がる。そういった場面に何度も遭遇していると、ふと。そういったスリルを楽しみつつ、後に武勇伝を語り合いたいがために、毎回ああいった状況をわざと作り出してるのでは?と疑いたくもなってもきてしまいます。まるで、うさぎとかめの話の教訓を否定するかのようですが、想像以上の結果を残す事で、結果良ければ全て良し。彼らの人柄やお国柄が顕著に表面に出る瞬間のひとつかと思います。
そんな彼らも違う側面では、伝統を重んじ、古くから築き上げてきた物や精神を非常に大切にしています。イタリア料理界でも指折りのあるシェフが「イタリアの料理の基礎は各地に根付いてきた伝統料理であり、たとえ独創的な華やかな料理だとしても、その料理を一口食べた時にノンナ(おばあちゃん)の料理や、懐かしい伝統料理の味を彷彿させてこそが、良いイタリア料理だ。その基礎を知らない料理人では、決して良い料理は作れない」まさになんでもアリと言わんばかりのクリエイティブな料理の世界への指摘でもあったのですが、それは料理のみに限らず、言語など全ての事柄においても共通しており、しっかりした基礎を持つ事こそが大切。といった意味合いでもありました。そのシェフと出会って、十数年経つ今でも、もっと本を読みなさい。イタリア語を勉強し続けなさい。そんな言葉を貰います。表向きには、努力や苦労を見せず、けれども常に進化を続ける彼らの存在のお陰で、もっともっと頑張らなくてはと、いつもそんな気持ちにさせられます。